東京での生活を辞め、地方で暮らすということ

地方で暮らす

人生を旅していますか?

私は、10年以上という気の遠くなるくらい長い時間を日本の首都である東京でサラリーマンとして過ごしました。IT技術者として、そして、営業マンとして。

毎日、満員電車に駆け込み、大勢の人の真ん中で押し潰され、背中を押されながら電車をあわてて降りる。埃臭く息苦しい地下鉄のホームをもくもくと歩き、ビルの谷間から見える太陽の日差しに少しだけホッとする。そんな毎日を繰り返していました。

ITバブルの影響もあったのでしょう。帰りは、毎日、深夜。定時に帰宅したことはありませんでした。もちろん、午後6時を回った頃、帰宅できる時も年に数回程度ありましたが、周囲への気まずさからか、自ら、今日やらなくても良い仕事を見つけ21時を過ぎるのを待って帰宅していました。

残業への規制が入る前のお話です。

当たり前だと思っていた東京での「生活」

当時は、最先端の先進的な技術を持つシステムエンジニアになるという目標を持っていたため、毎日の恐ろしく長く無理で無謀な重労働は、まったく苦になることはありませんでした。むしろ、大きなプロジェクトを任せられるようになる為に、自ら長期間の労働を望んでいました。

当然、そんなツケは、確実にひとつしかない体に蓄積され、毎日、日付が変わる頃に帰宅し、仕事の疲れと緊張を落とす為にシャワーを浴びたら、即、まるで切り立った崖が崩れ落ちるかのようにベッドに倒れこみ朝までのしばしの休息を得るために眠り続けました。

たまの休日は、きまって目が覚めるのは、午後3時過ぎ・・・。

それでも、20代30代という若さが、1週間の過酷な労働の疲れを短い時間であっても深い睡眠をとることで疲れた体を癒してくれる、それが私の一週間でした。

そんな一週間が4回繰り返されるのが、私の「東京での生活」だったのです。

凝り固まっていた考えを変えてくれた1枚の広告

いつものように満員電車で揺られていた時、ふと目に入ってきた1枚の広告。

広告には、記事のタイトルが「地方で暮らす」という大きな文字。

それは、とてもありがちで、ありふれた何の刺激も無いただのタイトルでした。

次の広告へ目をやろうとそのつまらない広告から視線を外したとき、、、ふと私の頭を疑問がよぎりました。

「情報化社会になった日本だけど、何故、東京にばかり企業が集中しているのだろう?」

 「日本社会は、やはりFace to Faceじゃなければ仕事にはならないのだろうか?」

「でも、どうやったら、地方でそこそこ豊かに暮らすことができるのだろうか?」

東京で、朝から深夜まで仕事という名の鎖に私の人生のほとんどの時間を拘束されていた私にとって、初めて沸き起こった「Work」と「Life」についての疑問。そしてその疑問を解決すべく脳の各地で検討会が開催されていました。

たった、たった1枚のなんの変哲も無い中吊り広告が、凝り固まっていた私の考えを揺らし、人生設計の再考を促していました。

「仕事」と「人生」の両立

当たり前のことですが、「仕事」で拘束される時間は少なければ少ないほど、自分自身の人生の楽しみに使う時間は増えてきます。しかし、高度成長期を経験してきた私達日本人には、このバランスをとる事が苦手で、また、人生をとても楽しんでいる人々のことをよく思わない風習や習慣、文化があります。

どちらかに偏らず仕事と人生のバランスをとる為には、まず、このワーカーホリックとも言うべき自身の潜入的感覚の修正が必要でした。

東京を辞め、地方で暮らすことの意味

10代からの努力で築き上げた東京での「生活」。これを壊すことは並大抵のことではありません。しかし、私、「仕事」と「人生」の両立という現代人としての課題に、東京での生活を辞め、地方で暮らすことの意味を模索することとなりました。

このサイトでは、豊かな人生を得るために必要な「経験知」と「スキル」の記録簿です。

もし、人生の貴重な時間を朝から晩まで拘束され、少しでも変えたいと考えているのでしたら、私と一緒に1ページ、1ページ、前に進んで行きましょう。

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